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株式会社ふくや 川原正孝社長
70tのクズが大ヒット商品に!マイナスからプラスへの発想術

「めんたいぴりり」でおなじみ、「味の明太子」をこの世に誕生させた「ふくや」。その伝統を受け継ぐ時にプレッシャーはなかったのでしょうか? 川原社長に山本華世さんが迫ります。

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株式会社 ふくや 代表取締役社長 川原正孝
福岡市出身。1950年3月18日生まれの66歳。大学卒業後、福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)入行。1979年(株)ふくや入社。1997年代表取締役社長就任。趣味は「博多祇園山笠」。社長いわく「山笠はライフワーク」、自他共に認める山のぼせ。モットーは「地元を大切にすること」。

ふくやさんといえば「製法を登録しなかった」という有名なお話がありますよね?

父(創業者 川原俊夫氏)は商標登録とか製法特許とか、何も取らなかった。だから一度「元祖」って付けたらどうかって父に提案したら「そうしたら美味くなるとか!」というのが第一声で(笑)。「一番というのは最初に作った明太子屋じゃないぞ。今、一番おいしいとこぞ!」と叱られました。今となれば、父が特許も取らず、惜しみなく同業者に製造方法を教えたことで、明太子が広まるきっかけになったんですよね。


伝統を受け継いでプレッシャーはなかったですか?

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29歳の時、父の具合が悪くなって。当時私も兄も銀行に勤めていて、兄は支店長だったからすぐには帰れないと。だから私が先に帰ってきた。そこで父は「味を守るな」って言ったんですよ。時代時代で味は変わるから、って。普通はね、味を守らないかん、暖簾を守らないかん、って思うじゃないですか。でも逆にどんどん変えろって。伝統に縛られるとか、そういうのはなかったですね。塩分濃度も色も変えたし。それに父は「美味しいものならどんな遠くからでも買いに来る」っていう考えだった。でも女性の感覚だと、近所に店があったらそっちで買うだろうと。これには母も賛同して「店舗展開していこう」ってことになりました。5年で5店舗程開店させて、さすがにこれ以上は自分の能力オーバーだなと思って、兄にそろそろ帰ってきて、と頼んだ。それから今38店舗です。


経営で大変だったこと、ピンチと思ったことは?

ある日、私が仕入れに見事に失敗して。毎日クズが500キロとか出ました。全く使えない明太子がね(笑)。ずうっと捨ててました。使ったら商品の質が落ちるから、やせ我慢して4カ月で70トンも。いやーあの時は、本当にどうしよう…と毎日ピンチでした。バラして瓶に入れてみたけど、そんな簡単に売れるわけはない。ところがその時にちょうど数の子が大暴落して、たまたまうちに買ってくれ、っていう人が来たんです。その時に「この数の子もクズの明太子も余りもんと余りもん、どっちもマイナスやん。マイナスとマイナスをかけたらプラスになるね」って言って混ぜたのが「数の子明太子」。爆発的に売れました。どん底のマイナスからの発想がプラスに転じた瞬間でした。


女性が多い会社ですよね。

「めんツナかんかん」という商品がありますが、これは女性社員が見つけてきた美味しいツナ缶とのコラボ商品です。一年足らずで100万缶の大ヒットになりました。女性の方が商品開発に向いていると思う。でも、私が帰ってきた頃、まだまだ男性中心の会社でした。で、ふくやも女性をどんどん採用しようと。バシッと面接会場作って待っていたけど、でも誰も来ないんですよ(笑)。結局その頃はまだ、女性が働くような雰囲気じゃなかったんですね。


どうやって今に至るんですか?

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それから制服とか、環境とか、いろいろ変えていきました。結婚しても、子供が生まれても仕事が続けられるように制度も整えました。たとえば子供ができた社員を人事に呼んで、どういう勤め方だったら働けるとか、休みや勤務時間の希望とかを聞くわけです。それを参考にしました。女性社員が定年まで幹部社員として働いてくれるためにはどうしたらいいか、いつも考えてますからね。うちの人事、すごいなあ、って思ったのが、社員が結婚した時、相手の男性を呼んでね、もちろん他の会社の人ですよ。で、子育ての協力の仕方とか教えてます。おせっかいでしょ(笑)。


冗談めかして言っとるけど、本当に「女性が辞めずにすむ職場」を実現してる。川原社長のすべての発想は、マイナスをどうプラスに変えていくか?そこが肝。私の大好物「数の子明太子」は、大ピンチから誕生した事を知って味わうと、また格別の美味しさやった(華世)

山本華世も

涙した川原社長の一言

  • 2013年10月、経営危機に直面したアビスパ福岡を救ったのは、ふくやの「アビスパ応援『うれしいギフト』満足セット」だった。利益分を寄付するのではなく、売上金全部を支援金としてアビスパに届けよう。会議でこの計画を聞いた川原社長は「おう! いけ!」と一言。

これがなかったらアビスパは存続していなかったろうね。男やね!川原社長!

株式会社 ふくや

福岡市博多区中洲2-6-10
http://www.fukuya.com/

創業/1948年10月5日
事業概要/味の明太子の製造・販売
各種食料品の卸・小売

インタビュアー 山本華世
福岡県出身。華世姐(かよねぇ)として親しまれ、言わずと知れた九州を代表するタレント。近年はネットTV「地球のどこでもカヨチャンネル」を運営、各分野で活躍する人達と対談する。対談のプロフェッショナルで、企業人、著名人の人数は2,000人超。座右の銘は「人こそ宝」。

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