ナッセナビTOP » 社長インタビュー
第2回目は、銘菓「鶴乃子」、ボンサンク「ショコラボア」などで知られる、110周年を迎えた石村萬盛堂。数々のヒット商品を生み出し、お菓子業界に革新を起こしてきた石村社長に山本華世さんが迫ります。
私が31歳の時、親父(先代)が亡くなったので、その歳に、社長になりました。親父とかぶっているのは、8年くらいなので「トップとしてこうあれ」というのは教わらないまま何も分からない状態で、とりあえず「あんたがしぃ」という感じでしたね。その頃は、既に鶴乃子として福岡では有名でしたし、従業員は150名以上、幹部は全員、年上でした。でも、昔から生徒会長をやったり、大学の時も大学紛争の真っ最中で、やりあってたんで(笑)、リーダーシップには自信があり、そのお陰で社長業には、何も抵抗がなかったです。ただ、親父が亡くなる前の遺言の中の一つに『洋菓子に力をいれないかんばい』っていうのがあった。『これからは、洋菓子の時代ばい』って。「洋菓子はとにかくしっかりやろう!」と強く考えていたのが30代のスタートでしたね。
「これからは洋菓子の時代」。昭和54年に、洋菓子としての新ブランド「ボンサンク」を立ち上げました。当初は、なかなか苦労しました。そこで全国のお菓子屋さんを回って、ビスケットとかチョコレート、生ケーキはあるけど、その真ん中に位置する「セミソフト(半生)」っていう商品群があるのに、誰も力をいれてやってないと気が付いたんです。その代表商品が「ショコラボア」。当時、和菓子が中心だった結婚式の引き菓子として目を付けたのが正解でした。引き菓子をもらったお客さんが「これは美味しい!」とお店に来店してくれるという流れができました。
昭和52年頃、少女雑誌に「どうして私たちはチョコレートあげるのにお返しがないのよ!」ってそんな記事が目に留まって、そりゃそうだなってね。お返しの日が欲しいよねって、そこで思いつきました。そこに「お返ししてもらえるならマシュマロ・クッキー・キャンディー…何でもいい!」って。マシュマロが一番最初に書いてあったから、コレだ!と。マシュマロは、鶴乃子で得意だったから。でも、鶴乃子のように中があんこじゃ若い人には、面白くないなと思ったので、新しい試みで、チョコレートを入れました。「君からもらったチョコレートを優しく僕が心で包んでお返しするよ」っていうのが、最初のキャッチコピー。そんな洒落たキャッチを僕が考えるなんてギャップがあるよね(笑)。
伝統は伝統でちゃんとその良さを活かし続けたいと思っています。祖父(先々代)は「人が四角いものを作れば、こちらは丸いものを作れ。人の真似をせず独創的な菓子作りをせよ」と丸いパッケージの鶴乃子を開発しました。なので、やっぱりこれからも「新しいことを考えていく」方が多いです。「お菓子はコミュニケーションツール」「地域の皆様の心のふるさとでありたい」を従業員には語っています。僕は石村萬盛堂が「街の風景、街の文化」そう皆様に思ってもらえるような企業になりたいと思います。
この前指示したばっかりなんだけど「うちで保育園を作ろう」って。というのも16時までしか勤められないなんて勿体無いんでね。子供さんがいても「ちゃんと正規の時間働けるようなそういう環境を作ろうじゃないか」という話をしたんです。女性もやっぱり仕事の中で成功していくっていうのが大事なんじゃないかと。石村萬盛堂は、働く女性を応援します。
石村萬盛堂の採用試験は、1時間程、社長がお話してその考えに共感できた人が筆記試験を受けるという流れだそう。社長との対談が終わった瞬間、私も筆記試験を受けたいとそう思う企業だった。創業110周年、革新し続ける老舗店、石村萬盛堂は「街の風景」になりつつある。(華世)
山本華世が
「いばらない、謙虚であること」石村社長そのものだと思いました。
福岡市博多区須崎町2-1
http://www.ishimura.co.jp/
創業/明治38年12月25日
事業内容/和洋菓子の製造・販売。和菓子「石村萬盛堂」、洋菓子「ボンサンク」、複合店「いしむら」、その他、九州を中心に約60店舗展開。