【川面選手コメント】

このたび、プロバスケットボール選手として、ライジング福岡で3年間プレーしてまいりましたが、昨シーズン、今シーズンと右肩を傷め、プロとして年間52試合戦える体ではないと判断し、退団することを決意しました。
プロという第一線でプレーすることはありませんが、今後も生涯現役としてバスケットボールに携わっていきたいので、退団という言葉を使わせていただきました。
3年前福岡で、野球、サッカーと3番目のプロ球団が設立されものの、認知度ゼロ、というより、レッドファルコンの件もありましたので、マイナスからスタートの中ほんとに多くの方々との出会いを作っていただきながら、本日まで走ってまいりました。ご支援してくださった方々に本当に感謝しております。

今後に関しては、母校である福原学園、九州共立大学の非常勤講師として籍をおきながらこの3年間続けて参りました、バスケットボール教室などの社会貢献活動、また、青少年育成活動にも力を注いで、全国各地をまわっていきたいと思っております。
最後になりますが、本日プロバスケットボール選手としてライジング福岡を退団しますがこれからもバスケットボールを愛して、生涯現役で、また生涯スポーツとして楽しくバスケットボールを続けていきたいと思っておりますので、どうか温かく見守っていただければ幸いです。3年バスケットボールという球技スポーツを通じて、
多くの皆さんと出会えた事を心から感謝したいと思います。
3年間、本当にありがとうございました。
【質疑応答】

Q.右肩の状態で引退を決意したとのことでしたが、実際に引退の決断に至った時期は?
A.年末に右肩を傷めまして、リハビリを重ね1ヵ月後にオールスター戦後に復帰したんですが、その時の症状が尋常じゃなかった。ゲーム感覚は1ヶ月空けるだけで、戻すのがきつかったので、それぐらいから考えるようになりました。
Q.最終的に引退を決めたのはいつごろ?
A.最終試合が終わった後にホテルに帰ってです。その時に精一杯やったか、どうなのか自分に問いかけて、その時に自分の中では決めました。
Qいろんな思いが交錯したと思いますが?
Aこの5年間、福岡にバスケを広めたくて帰ってきたので、それなりのすごい思いで決断したと自分自身思います。気持ちがいまだ整理できてない部分もありますが、これからは楽しくバスケットボールを続けていきたい。
Q一番の思い出の試合は?
A.全てですが、一番はじめの思い出は3年前の開幕戦を迎えたとき、コートに立った瞬間は今でも覚えてますし、近いところですと、石谷聡が3月の試合でチームに貢献して勝利へ導いてくれた試合。この2つはいい思い出。

Q.ブースターのみなさんは淋しいと思いますが、メッセージを。
A.3年間、ブースター、スポンサーの皆さんに支えられて今日という日が迎えられたと思っております。今後もライジング福岡の支援を宜しくお願いします。
【来シーズンの球団の取り組み】

川面選手の背番号11番を球団として、永久欠番とする方針を発表。 川面選手の意志を継ぐという思いで、レギュラーシーズン・ホームゲーム26試合の会場内にて、11番をフラッグとして掲示するとのこと。川面選手の功績を称えた球団の思いが形になった。川面選手がコートに立つ姿は見られないが、是非、このフラッグとともに新生ライジング福岡を応援しよう。
【小川HCのコメント】
Q.引退を聞いてどう思われましたか?
A.今後もライジングで一緒に戦って欲しいと思いましたが、本人より「体の状態が思わしくない」と。残念ですが、最終的には本人が決めることですので。今後も協力できること、一緒にできることはしたいと思っている。
Q.この場でねぎらいの言葉を。
A.一言「お疲れさん」ですね。川面とはコーチ就任前からよく知る仲。試合後のケアの仕方など、お手本のように若手に示してくれた。一戦からは退くが、どこかでバスケの繋がりはあるし、一個人としては、これからもお付き合いが続くと思うので、これからも協力しあってバスケット界のために頑張っていきたい。
【編集後記】
記者会見の場に姿をみせた川面選手は、緊張した面持ちを魅せながらもどこか肩の荷が降りたような表情も垣間見れた。「コートに立つ以上、プロである限りベストな状態でコートに立ちたい」という川面選手の意向で、引退試合は行われない。ファンには少し淋しい気もするが、この「プロ根性」は周知のことだろう。今後は指導者として、大学のバスケットボール界に入って、プロの選手を育てたいという夢も語ってくれた。「これからはバスケットボールを楽しみたい」と少しハニカミながら語る川面選手は、すでに新しい方向へ向かっている力強さを感じた。